『王子さまの好きなもの』Sample


 予告もなく降り出した強い雨が、世界を真っ白に変えていく。夏葵はその雨の中を、双子の弟を探して走り回っていた。
 春袮は雷が苦手だから、探し出して守ってやらなくちゃいけない。それなのに春袮がどこにも見当たらない。
 心当たりは全部探した。教室。美術室。職員室。バス停も、駅へ繋がる道も。全部全部探したのに春袮はいない。
 ――また、いなくなっちゃう。
 ――もう二度と、会えなくなってしまう。
 そんな不安に取り憑かれて、夏葵は焦った。
 早く見つけないといけないのに、どこにいるのか分からない。
 春袮の名前を叫びながら走り続けて、夏葵は公園にたどり着いた。東屋のようになっている場所にベンチがある。もしかしたらここにいるかもしれない。そう思って来てみれば、ベンチに人影がある。こちらに背中を向けているその人物を、夏葵は弟だと確信した。
 水たまりに足を突っ込みながら駆け寄って、その背中を抱き締める。
 探したんだぞ! 何でいなくなっちゃうんだよ!
 そう訴えた夏葵に応えたのは、春袮ではなかった。
「南雲? どうしたの? 泣いてるの?」
 振り向いた相手は大路だった。
 何でお前なんだ。
 文句は声にならなかった。
「大丈夫だよ。雷から守ってあげるからね」
 夏葵が弟に言うはずだった台詞を取られる。
 ぎゅうっと抱きしめられて、雨音が遠くなった。
 雷の音なんて聞こえない。聞こえるのは心臓の音。大路と、夏葵の心臓の音だ。
 その音を聞いていると、とても安心出来た。
 ――好きだな。
 自然とそんな気持ちが沸き上がってくる。
 大路はどこかに行ったりしない。いつでも夏葵の傍にいてくれる。
 そう信じることが出来て、夏葵は嬉しかった。
 ここは、とても居心地がいい。
 だから夏葵は、幸せな気持ちで――。


 幸せな気持ちで目が覚めて、夢の余韻に浸りながら体を起こした瞬間。
 夏葵は自分の頭を殴りたくなった。
「最悪……」
 何という夢を見たんだろう。
 大路に抱きしめられて、幸せだなあと思うなんて。
「マジで! 何考えてんだ! なんつー夢見てんだよ!」
 本当に、最低最悪の夢だ。
 目覚めた瞬間まで幸せだった自分のことが許せない。
「馬鹿か、オレは」
 ポカポカと自分の頭を叩きながら、夢の余韻を追い出そうとする。
「夏葵、何やってるの?」
 弟の春袮が呆れた顔で訊いてきた。
「早く着替えないと遅刻しちゃうよ?」
 ちゃっかりと自分だけ身支度を整えて、春袮は部屋を出て行こうとする。夏葵はぼんやりとしたまま時計を確認して、一気にベッドから飛び降りた。
「何で起こしてくれなかったんだよ!」
「僕、何回も呼びかけたけど、夏葵が全然起きなかったんだよ」
「呼んて起きなかったら揺するとかしろよ」
 慌てて制服に着替えながら文句を言うと、春袮は「だって――」と笑う。
「あんまり幸せそうな顔して寝てたから、強く起こせなかったんだよね」
 双子の弟に追い打ちを掛けられて、夏葵は頭を抱えた。
「もう嫌だ……。学校行きたくない」
「何言ってるの、新学期早々。ていうか本当に早くしないと遅刻しちゃうし、その前に秋穂兄ちゃんにすごく怒られると思うよ?」
「……だよな」
 次兄の秋穂は普段はとても優しい。けれど怒るとめちゃくちゃ怖いのだ。理由もなく学校を休みたいなんて言ったら絶対怒られる。夢見が悪かったからなんて言い訳も通用するとは思えない。
「僕、先に行くからね」
 意外と薄情な双子の弟は、そう言い残して部屋を出ていってしまう。
「あーもう!」
 夏葵は大慌てで後を追った。