『流れ星きらり』02


「じゃ、行こうか」
 今度は払いのける前にしっかりと手を掴まれた。内側からドアを開け、静まり返った廊下に出る。夜の学校だなんて、怪談にありがちな状況なのに、不思議と怖くはなかった。中庭に面した窓から差し込む月明かりだけを頼りに歩く。冬の月光は白く、見慣れているはずの校舎が別の世界のように感じられた。手を繋がれたままだということも、今は何故か気にならない。
 四階から屋上に続く階段を上っている時、ふと疑問が浮かんだ。屋上の扉は施錠されているのではないか。それともまたさっきの窓のように、コツさえ知っていれば開けられるのだろうか。
「なあ、鍵どうするんだよ」
「ん? あるよ」
 大路はごく自然に、コートのポケットから小さな鍵を取り出して見せる。
「おい……何であるんだよ」
 まさかとは思うが、職員室から盗んだのだろうか。いや、いくらこいつに変なところがあるとはいえ、さすがにそこまでやるとは思えない。
「え……屋上で星を見るため……?」
「そうじゃねえだろ!」
 思わず怒鳴ってしまった。大路は唇に人差し指を当て「しーっ」と言う。
「実はこれ、姉からもらったんだよね。いや、もらったっていうか押し付けられたっていうか――」
 今から五年前。大路の姉は夏葵たちと同じ高校に通っていた。そして文化祭だか体育祭だか――とにかく何かの行事の時に、屋上の鍵を借りたらしい。そしてそのまま、返し忘れた。普通なら、鍵を貸した教師が返却を確認する。それがどういう訳か確認されず、大路の姉もすっかりその存在を忘れていた。
「で、こないだ部屋の模様替えをした時にこれが出てきたって」
「普通さ、鍵がなくなったら付け替えるんじゃないか?」
「僕もそう思ったんだけど、今日の昼休みに試してみたら開いちゃったんだよね」
「開いちゃったって……」
 呆れて言葉が出ない。
「屋上なんてそうそう開けないでしょ? それで姉が言うには鍵は一個じゃなかったんだって。スペアが2本くらいあったのかな。使う頻度の少ない鍵で、スペアがキーボックスにあったらきちんと返却されてるって勘違いすることもあるかも」
 大路はそう言うと鍵穴に手にしていた鍵を差し込んだ。右に回すとカチャリと軽い音がする。
「ね? 開いたでしょ?」
 扉を開けながら大路が笑う。
「お前な、爽やかに笑ってる場合かよ。バレたら怒られるどころじゃ済まないぞ」
「大丈夫、南雲のことは僕が守るから」
 大路は真面目くさった顔でそんなことを言う。本当にアホだ。夏葵は大きなため息をついた。
「さっさと星見て帰るぞ」
 屋上には強い風が吹いていた。途端に震え出す体を小さくしながら、夏葵は空を見る。
「どの辺に見えんの?」
「ええとねえ……だいたいあっちの方角かな。月明かりがああるから見えづらいかもしれないけど」
 大路の指した方角に顔を向け、夏葵は流れ星を待った。けれど一向にそれらしいものは見えない。『流星群』という言葉のイメージから、もっと頻繁に星が流れるものだと思っていたが、どうやらそうではないようだ。
「南雲、そうやって立ったまま見てたら首が痛いでしょ? こっちおいで」
 大路はスポーツバッグの中から荷物を取り出している。よくもまあこんなに沢山の物を持ってきたものだ。
「ここに寝そべるといいよ」
 ぽんぽんと大路が叩いたのは、簡易型のエアーマットだった。人が一人、ちょうど横になれるサイズだ。
「すげーな。こんなのまで持ってきてたのかよ」
 夏葵がマットに座ると、大路が紙コップを手渡してくる。
「あ、これも飲んで。温まるから」
 水筒から注がれたのは温かなココアだった。
「ん、サンキュ」
 熱いココアをゆっくりと飲んでいると、大路が体に毛布を掛けてくれる。
「寒くない? 大丈夫?」
「平気」
 ココアと毛布のお陰で体が温まった。これならもうしばらく星を待つことが出来そうだ。大路も自分の分のマットをようやく膨らまし終えたらしい。夏葵の隣にマットを寄せて、その上に寝そべる。
「お前の毛布は?」
「いやー、さすがに入りきらなくてさ。でも大丈夫、このコート結構温かいし」
 そうは言うが、大路の体は微かに震えている。
「あーもー、しょーがねーな。半分貸してやる」
 本来は大路の毛布なのだが、そんなことは気にしない。毛布の片側を上げてやると、大路は声を弾ませた。
「本当!? 嬉しいな! ありがとう」
「おい、ちょっと……」
 抱きつくような勢いで大路が毛布の中に入ってくる。
「馬鹿、もうちょっと離れろよ」
 大路の体を押し返そうとした夏葵の腕を、大路がしっかりと掴んだ。
「でもくっついた方が温かいだろ?」
 もっともらしい口ぶりだが、夏葵は騙されてなどやらない。「だからって密着する必要はねーだろーがっ!」
「いいから、いいから」
 大路は夏葵の腕を引く。ぎゅっと抱き締められて、夏葵の脳裏に春先の記憶が蘇った。大路の前で弱みを見せてしまった日。あの日もこんな風に抱き締められた。
「ほら、温かい」
 優しく子供をあやすような声で大路が言う。
「アホ」
 確かに温かいけれど。
「星が見えねーだろうが」
 言葉に反して夏葵の声は弱い。あの春雷の時のことを思い出したら、少しだけ気持ちが変わった。もう少しだけ、このままでいてやってもいいか、と思う。勿論流れ星は見たかったから、そのうちこの腕は引き離すけれど。
 けれどまあ、あと少しだけならいいか。
 大路の言うとおり、何だかとても温かかったから。
 そんな二人の頭上に。
 流れ星、きらり。