『王子様の好きなもの』02



「ねえ、南雲。放課後さ、ちょっと時間もらえる?」
翌日、貴文は夏葵の姿を見つけるとそう切り出した。夏葵は昨日のことを気まずく感じているらしい。一瞬露骨に嫌そうな顔をした後、眉を顰めて問いかけてくる。
「お前さ、なんで平気で俺に話しかけて来られる訳……?」
唇をへの字に曲げてそう言うと、夏葵は大げさにため息をついた。
「何の用事があるんだよ」
「どうしても見てもらいたいものがあるんだ」
「今じゃダメなのかよ」
「そういう訳じゃないけど……。うん、ちょっと量が多いから、やっぱりダメかも。授業始まっちゃいそうだし」
「だから何だよそれ……」
夏葵は意味がわからないと頭を抱えた。
「まー……別に、いいけど?」
渋々頷いてくれた夏葵に、貴文は念を押す。
「約束ね?」
「わかったから」
面倒そうに夏葵は手を振った。もう構うなという意味だろう。貴文は大人しく自分の席に座る。
いつもならどれだけ嫌な顔をされても構わなかった。口喧嘩みたいな会話さえ楽しいと思っていた。いや、今だって貴文はそう思っているのだが、せめて今日一日は夏葵の機嫌を損ねないようにしなければ。せっかく弁解のチャンスなのだ。これを逃したらたぶん夏葵に自分の気持ちを理解してもらえる機会など、巡ってこないような気がする。
だから授業中も隣の席を見るのは我慢した。休み時間も話しかけない。貴文にとってそれはかなり辛いことだった。夏葵の存在を無視するような一日は、ひどく長く感じられる。
本当は夏葵をずっと見ていたい。どんな表情の変化も見逃したくない。
けれど誤解されたままだというのはもっと辛い。
そう思って耐えていたが六時間目の授業中、とうとう我慢が出来なくなった。授業内容は古文で、教科書を読む教師の声だけが静かな教室に響いていた。窓からは柔らかな風が吹き込んでいて、生徒の大半は眠気と戦っている。夏葵は古文が苦手で、この時間はいつもシャープペンシルを握ったままうつらうつらとしていた。だから少しくらい夏葵の方を見ても、気付かれないだろう。不快な思いをさせることもないはずだ。
そう考えた貴文はちらりと隣の席を見て、思わず驚きの声を上げそうになる。
例えば、退屈そうに窓の外を眺めている姿とか、あるいは頬杖をついた姿勢であくびをかみ殺している姿だとか。貴文はそういう夏葵の姿を想像して視線を向けた。
けれど、目に飛び込んできたのはこちらを見つめる夏葵の姿だった。
目が合って、呼吸の仕方を忘れそうになる。心臓が高く跳ねて、胸につきんとした痛みを覚えた。驚いたのは夏葵も同じらしい。大きな瞳が揺れている。何かを言いたげにその唇が薄く開く。
それは今まで貴文が見たことのない表情だった。
怒っているのとも、悲しんでいるのとも違う。もっと複雑で、けれどこちらの感情に直接訴えかけてくるような……そんな顔だった。
「南雲……?」
声を掛けた瞬間、授業の終わりを告げるチャイムが鳴る。夏葵は貴文から視線を外して、それきりこちらの方を見てはくれない。
――何だったんだろう……。
夏葵は何を思っていたのだろう。何を言おうとしていたのだろう。もしかして自分はまた、何か彼を傷つけるようなことをしてしまったのだろうか。胸をよぎる不安に、貴文は小さく息を吐いた。



放課後。貴文は大きな紙袋を持ち、夏葵と共に特別教室の並ぶ棟に来た。美術室、理科室、音楽室といった普段の授業でも使う教室の他に、茶道室や書道室といった部活でしか使わない教室もある。中には完全な空き教室となっている場所もあった。目的の場所はその空き教室の一つだった。使われていない教室は鍵がかかっているのが普通だがその部屋だけは少し特別で、隣の書道教室と扉でつながっている。元は書道教室の準備室のような使われ方をしていたのかもしれなかった。貴文は予め書道部の女子に頼んで内側から鍵を開けてもらっておいた。そっと扉を開けて中に入ると、埃っぽい匂いが鼻につく。空気を入れ替えるために窓を開けてから、入り口で立ったままの夏葵を手招きで呼び寄せた。夏葵はむっつりと黙ったまま、近くの椅子に腰掛ける。
「昨日、南雲が言ったことなんだけど」
そう切り出すと夏葵の眉がぴくりと動いた。
「ぬいぐるみみたいに思ってるわけじゃないよ」
机の上に紙袋を置いて、中からテディベアを取り出す。
「これね、十歳の誕生日におばあちゃんがくれたやつなんだ。ほら、足の裏っかわに刺繍がしてあるでしょ?僕のイニシャルと誕生日。昔からこういう可愛いものが大好きで……」
可愛いという単語を口にした瞬間、夏葵がむっとするのが分かった。
「えっと、他にもあるんだ」
貴文は慌てて紙袋の中身を出していく。
色とりどりのビー玉を詰めたガラスの小瓶。アールヌーボー風の装飾が施された小箱は、それ自体が気に入っていた。その中に入っているのは繊細なレースや、アンティークの生地を使ったくるみボタンだ。掌に乗るサイズのうさぎの人形は土台の部分がオルゴールになっている。横についたネジを回すとクラッシックの曲がゆったりとしたテンポで流れだした。
「可愛いものが好きなんだけど」
貴文は袋の中身を全部机の上に並べてしまうと、まっすぐに夏葵を見た。
「南雲は、違うんだ」
「違うって……何が……」
「足りないんだよ。ここにあるの全部合わせたって、南雲の代わりになんてならない。特別なんだ。こんなにきらきらして、目が離せないのって南雲以外にないんだ」
世界中の可愛いものを集めたって、夏葵には敵わない。貴文は真剣にそう思っていた。
「南雲に思う『好き』は、全然違うんだよ」
「何だよ……それ」
夏葵は小さく呟いて横を向いてしまう。その頬が少しだけ赤くなったのを見て、貴文の胸は高鳴った。
ほら、こんなに違う。
「――わかったよ」
やがて夏葵はため息と共にそんな言葉を口にした。
「俺もなんか……お前がいつも通りじゃないと調子狂うし。いいよ、もう」
「本当? ありがとう!」
その言葉が何よりも嬉しくて、貴文は思わず夏葵を抱きしめた。
「って! おい、離れろよ、暑っ苦しいだろ!」
腕の中でもがく夏葵がて愛しくて。
「おい、聞いてるのか? あ、あともう可愛いとか言うなよ!」
「うんうん、分かった」
頷きつつも腕の力は緩めない。
「全然分かってねえだろ」
「ねえ、今度は南雲のこと教えてよ。例えば……そうだなあ、何か好きな映画とかある?」
「人の話を聞け」
「教えてくれたら離すよ」
もちろん、そんなのは嘘だ。せっかく夏葵が自分の腕の中にいるのだ。出来るだけ長いことこの温もりを確かめていたい。
「何でそんなこと聞くんだよ」
「だって――」
貴文は少しだけ腕の力を緩めて、夏葵の顔を覗きこんだ。
「南雲のことをちゃんと知ったら、好きって言ってもいいんでしょ?」
微笑んだ貴文に、夏葵は一瞬呆気に取られたような表情をして――。
「ひ、人の言ったことを都合いいように解釈しすぎなんだよ、お前はっ!」
大きな声で怒鳴られる。
それでも貴文は幸せだった。とても、とても――。

End