『星待ちラプンツェル』番外編 

「と、り、な、く、こ、え、す……」
 手本を見ながら文字を書いていく。一文字ずつ、声に出して。このところの青の日課だ。文字を覚えることは楽しかった。仮名文字はもうちゃんと読める。けれど、美しい文字を書くことはまだ出来なかった。手本の文字は、青の主が書いてくれたものだ。しっかりとした筆運びで、青の書くひょろりとした文字とは違う。
「うーん、何が違うのかなあ」
 筆を置いて、青は首を傾げた。形は同じはずなのに、青が書いた方はどうにも不格好だ。
「あれ?」
 青はすん、と鼻をならす。
「春の匂いがする」
 明かり取り用の窓から入ってくる光も風も、このところ随分柔らかなものになってきていた。青は立ち上がって窓から差し込む光の上に立つ。
「へへ、暖かい」
 本当は、窓の外を見たい。けれど青の背丈ではどう頑張っても、窓枠に手を掛けることすら出来そうにない。それに、窓に近づいてはいけないと、主からきつく言われていた。だから青は、窓から落ちた光の上を歩く。畳からほんのりと温かさが伝わってきて、それだけで心がうきうきとした。
 かたり、と廊下の奥の扉が開く音がする。
「あっ!」
 青は光の上でぴょんと跳ねた。階段を下りてくる足音は主のものだ。
「あきまさ様」
 出迎えた青に、晃雅は眉間に皺を寄せる。
「またそんなに着物を崩して」
「え? そうですか?」
 青にはどこがおかしいのか分からないが、晃雅は気に入らなかったらしい。さっき飛び跳ねたからだろうか。晃雅は手に持っていた盆を畳の上に置き、青を手招きする。
「ほら、帯が下がっている」
 青の着物を晃雅は手早く整えてくれた。帯を上げて、着物のあちこちを引っ張られるうちに、すっきりとした形になる。
「ありがとうございます」
 礼を言うと晃雅は小さなため息をつく。
「これくらい、一人で出来るようになりなさい」
「がんばりますっ」
 元気に返事をしたのだが、それは良くなかったらしい。
「大きな声を出すな。品のない」
「ご、ごめんなさい」
 青は慌てて謝る。品がある、というのがどういうことなのかよく分からなかったが、主が気に入らないことをしてしまったということは分かった。
「――青、言葉が違う」
「も、もうしわけありません……」
 また失敗をしてしまった。情けなくて青は肩を落とす。
「まあ、いい」
 晃雅は微かに笑った。それだけで、青の沈んだ心は浮上する。
「今日はお前にこれをやろうと思ってね」
 晃雅は盆を引き寄せた。そこには湯のみと急須と、小さなお重が乗っている。
「開けてごらん」
 実は晃雅がやって来た時から、そのお重の中身が気になっていたのだ。蓋に螺鈿細工の施された、綺麗で小さなお重。青はそっとその蓋を開ける。
「わ……すごい……」
 中に入っていたのは、春だった。
「桜餅だよ。甘いものが好きだろう?」
 晃雅は青の髪を撫でながらそう言った。青は嬉しくて何度も頷く。
 小豆の餡が薄紅色の餅で包まれている。餅の上には桜の花が添えられていた。
「お花も食べられるのですか?」
「塩漬けにしてあるからな」
 青は目を輝かせた。こんなに綺麗なものが食べられるなんて。
「あきまさ様も、一緒に……」
 食べましょう、と言いかけて考えなおす。
「召し上がりませんか?」
 晃雅は時々こうやって菓子を持ってきてくれるが、一緒に食べてくれたことはなかった。けれどお重の中に桜餅は二つ入っている。だから晃雅も一緒に食べてくれたら嬉しいなと思ったのだ。
 晃雅は驚いたように目を瞠る。少し考えて、それからふっと微笑んだ。
「黒文字は一つしか持って来ていないのだがな」
 困った子だと笑いながら、晃雅は黒文字を手に取る。桜餅を一口大に切り分けて、青の口元に運んでくれる。
「交互に食べようか」
 青は返事をする代わりに、ぱくりと桜餅を口に入れた。
 桜の香りが口に広がる。しっとりとした餅の食感と、餡の甘み。青は思わず微笑んだ。
「あきまさ様、とても美味しいです」
「そうか」
 晃雅も満足そうに頷いてくれる。
 たったそれだけのことで、青の心は温かくなる。
「あきまさ様、春を連れてきてくださって、ありがとうございます」
 黒文字で菓子を切りながらそう言うと、主は不思議そうな顔をした。
「はい、どうぞ召し上がってください」
 青は晃雅の口元に菓子を運ぶ。主は無言でそれを食べ――。
「ああ、春だな」
 そう呟いた。