『SWEET BITTER SWEET』番外編 お正月

 明け方から降り始めた雪は街をうっすらと白く染めた。午前九時過ぎ、森田翼は窓の外を見て小さな声を上げる。真っ白な世界は美しい。普段なら道を行く人や車が多く見える時間帯だが、元旦の街は未だにひっそりと息を潜めていた。
「霧島君、雪! 積もってる、外」
 子供みたいにはしゃいで、こたつで眠っている恋人を揺り動かす。昨日は二人で深夜までテレビを見て、いつの間にか寝てしまっていた。
「んー……今何時?」
 霧島は気だるげに体を起こし、眼鏡を掛けてから大きな欠伸をする。
「九時十二分」
「あれ、もうそんな時間なのか。何かコタツで寝ると体ダルいな」
 霧島は腕を伸ばして翼の頭をぽんと叩いた。
「雪、そんな積もってんの?」
「屋根の上とか、道路脇の植え込みとか真っ白になってるよ」
 もっと降って道路も全部真っ白になったらいいのにと言うと、霧島は苦笑した。
「そこまで積もると、電車止まるんじゃないか?」
 そんなところまで考えていなかったと言うと、翼らしいなとまた笑われた。抗議しようとして翼が口を開いた瞬間、言葉より先に腹がぐううと音を立てた。
「腹減ったな。昨日の蕎麦が残ってるけど食う?」
「食べる」
 霧島は、こういう時に笑ったりしない。
「何か手伝おうか」
「いや、すぐ出来るからいいよ。座って待ってて」
 そう言われたものの、蕎麦つゆを温めるいい香りがしてくると、我慢が出来なくなった。キッチンへ行き、霧島の後ろから覗きこむ。霧島は何をしても要領がいい。それは料理においても同じだった。蕎麦はそろそろ茹で上がりそうだ。蕎麦つゆを温めながら、霧島はカマボコを切っている。
「ねえ、お餅入れようよ」
 ふと思いついて提案してみる。
「お雑煮っぽくなるかも」
「餅入りの蕎麦になるだけだろ、それ。まあいいけど」
 霧島に笑われながら、翼は真空パックの餅を電子レンジで温める。霧島が蕎麦を器に入れてコタツの上に置いた。箸を用意して、グラスにお茶を入れてくれた頃、ようやく餅が柔らかくなる。翼は餅を蕎麦つゆの上にそっと落とした。黒いつゆの上に白い餅が浮かんだのを見て、満足する。
「やっぱりお雑煮っぽい」
 蕎麦を啜りながら言うと、霧島も頷いてくれる。
「ホントに、意外と雑煮感あるな」
二人はしばらく夢中で蕎麦を食べた。もう一個お餅を入れれば良かったかなと翼が思った時だった。霧島が思い出したように「そういえば――」と言った。
「これ食ったらさ、初詣でも行く? 駅の反対側になんか神社あるんだ」
「行く行く!」
 翼は勢い良く頷いた。神社や寺に興味はないが、初詣は別だ。一年の始まりにお詣りをするのは、小さい頃からの習慣だった。去年までは家族と行っていたが、今年は霧島と行けるのだと思うと嬉しかった。
 今年は何をお祈りしよう。
 去年は大学に合格しますように、だった。その前は成績があがりますように。
 毎年自分のお願いと家族の健康を、五円玉一つで神様に祈ってきた。
 今年は、どうしよう。
 蕎麦を食べながら考える。家族の健康は勿論お祈りするけれど。
けれど、自分の分はどれだけ考えても思い浮かばない。
「霧島君、どうしよう。初詣でお祈りすること、思い浮かばないや」
 どうしてだろう、と考えて気づく。
「あ! そうか。僕、今すごく幸せだからお祈りすることないんだ」
 霧島君のお陰だね、と。
 本当に心からそう思ったから、自然と言葉が口をついて出てきた。
「あれ? 霧島君?」
 翼は何かおかしなことを言ってしまったのだろうか。霧島は俯いて頭を抱えている。彼がこういう態度を取るのは珍しい。
「あ、あのね、そういえば屋台出てるかなあ。たこ焼き食べたい」
 恐らく自分が犯してしまったのであろう失態を誤魔化すために、無理やり話を変えた。
「小さい神社だからなあ。どうかな。でも、出てるといいな」
 そう言って霧島がくしゃりと笑ってくれたので、翼はまた幸せな気持ちになる。
 神様へのお願いは、この幸せがずっと続きますように――。
 そう決めて、翼はふわりと微笑んだ。