『Love Robotics』Sample

痛みを知りたい。
 木枯らしの吹く公園のベンチに座って、アラタはその感覚がどんなものなのだろうと考えた。気温は三度。しかし冷たい風のせいで人間の体感温度はさらに低いだろう。節電の為に皮膚のセンサーをオフにしているアラタには、関係のないことだったが。
 痛み、というものについて考えることは過去に何度もあった。一年以内では十二回、それについて考えている。答えはまだ出ていない。今また痛みについて考えたのは、アラタの座るベンチの前方三メートルで子供が転んだからだ。転んで、ケガをして痛い。だから泣く。というプロセスは理解できる。だが子供は最初、泣かなかった。転んだことに驚いたというように目を丸くして、自力で立ち上がりかけた。そこにおそらく子供の母親であろう女性が現れて、気遣わしげに声をかける。
「大丈夫?」
 その声を聞いた途端、子供は「痛い」と言って泣き出した。
 痛覚が麻痺しているのか。それとも子供の痛みというものは数秒のタイムラグがあるのが普通なのだろうか。
 アラタには痛みというものが分からない。
 アラタを作った人間が、その機能を搭載しなかったからだ。
「痛い」
 呟いてみる。
痛くはない。
しかし呟いたことで母親の注意をひいてしまったらしい。彼女はこちらを見て、眉間に微かに皺を寄せる。嫌悪――いや、警戒の表情だ。これは良くない。不審者として通報でもされたら厄介だ。
アラタは立ち上がる。この公園にはもう居られない。やはり七時間も同じ公園にいるのはおかしいのだ。人間はそんなことはしない。親子の方を見ないようにして、歩き出した。母親の視界から早く消えたほうが良いだろう。しかし急に走りだしたのでは不自然だ。時速四キロで歩きながら、アラタは自分のエネルギー残量を確認する。
この公園には太陽光によるエネルギーの充電の為に訪れた。現在の数値は三十七パーセント。ベンチに座った時は三十パーセントだったから、一時間に一パーセントしか回復していない。気象状況が良くなかった。朝から薄曇りだったのだから仕方がない。備蓄エネルギーは底をついている。早く目的地にたどり着かなければならない。
『冬の太陽は遠いから』
 かつてアラタにそう言って笑った人がいた。
 アラタはその発言を訂正した。自分たちの居る北半球を基準として考えるのならば、地球と太陽の軌道から計算すると夏に比べて冬の方が太陽との距離は近い。
 そんな計算が出来ない相手ではなかったから、何故彼がそのようなことを言うのか、アラタには理解出来なかった。
『それでもやはり、冬の日は遠いんだ』
 遠い、と感じることが人間の感性というものなのかもしれない。その時アラタはそう結論を出した。今、改めて冬の太陽を見ても、特別に遠いとは認識出来なかった。
 一時間半ほど歩いた所で、漸く目的地の近くに来たことが分かった。アラタは通りの名前を確認する。
『カグラ町劇場通り』
 この国で一番の歓楽街。時代から取り残された街。そのメインストリートとなる通りだ。劇場通りという名前だが、劇場はない。大昔の名前がそのまま使われているのだ。その通りを五百メートル歩き、角を右へ曲がる。そこから百五十メートル進んだ先。外壁をレンガ風に装飾してあるビルの地下一階に、アラタの目的地はある。
 木製のドアを開くとカランコロンとベルが鳴る。飴色に磨きこまれたカウンターの奥で、何かの作業をしていた店員が顔を上げた。
「悪いね、お客さん。開店時間前だ」
 二十代後半から三十代前半の男性だ。
「客ではありません」
 アラタはそう返答して、カウンターに近づく。
「セールスもお断りだよ」
「違います」
 カウンター越しに男の顔を正面から見る。真っ直ぐに通った鼻梁と、目尻がすっと上がった目が印象的だった。
「貴方は羽瀬篤さんですか」
 男は眉根を寄せる。その表情がデータの中にある羽瀬篤の若い頃に似ていた。彼は現在八十三歳のはずだが、金に糸目をつけなければ三十代の外見を保つことも可能だ。羽瀬篤の近年の状況が分からないので、一般的には低い可能性であろうとも確認せねばならない。
「羽瀬篤は俺のじいさんだけど」
「では羽瀬篤さんにお取り次ぎ願います。僕はアラタ。三岩紀明の使いで来たといえば分かって下さるはずです」
「それは無理だ。じいさんは三年前に死んだ」
「そうですか。では彼の遺産を相続したのはどなたでしょう。その方に受け取って貰わねばならないものがあるのです」
「あー……」
 男は面倒くさそうに頭をかいた。
「なんだ、ややこしい話か」
「いえ、シンプルな話です」
「遺産なんて大層なモンは無かったよ。……まあ、この店を継いだのは俺だし……、俺ってことになるのかな。で、それって何?」
 男は自分が受け取る物に対して、さして興味がないようだった。それよりも彼は開店時間の方が気になるようで、さっさと話を終わらせたいように見える。だからアラタはここに至った経緯をとりあえず省略し、渡すべき物が何かということを先に告げることにした。
「僕です」

   ※

羽瀬統也は相手に聞こえるように、思い切りため息をついた。
「ややこしい話じゃねえか」
 アラタと名乗った少年型のアンドロイドは澄ました顔で「いいえ、至ってシンプルな話です」と繰り返した。
「三岩紀明と貴方の祖父である羽瀬篤さんとの間に交わされた約束に基づいて、僕を譲渡するというだけの話です。譲渡に必要な書類はこちらで用意してあります。貴方はサインを下さるだけでいい」
「じいさんがそんな約束をしていたなんて聞いたことがない」
「五十年前の約束だと伺っています」
「あのなあ……、そんな大昔の約束知ったこっちゃねえよ。だいたい俺はアンドロイドが嫌いなんだ。三岩って人の所へ帰れ」
 追い払うように手を振ると、アラタは「それは出来かねます」と応えた。
「三岩は三日前に亡くなりました。僕の譲渡は、三岩から僕に与えられた最後の命令です」
「……おい、お前のシンプルの基準は何だ。どこからどう聞いてもややこしいじゃないか」
「シンプルの意味をご説明しますか?」
 アラタは表情を変えない。嫌味を言ってもムダなのだ。統也は別の質問をする。
「お前を譲り受ける権利を放棄する、って言ったらどうなる」
「それは……」
 アンドロイドは始めて言い淀んだ。少し首を傾げて困ったような表情を作る。芸が細かい。
「その場合も一旦は譲渡を受けていただくことになります。その後で、お手数をお掛けしますが廃棄の手続きを取っていただきます。この住所から最寄りの管理局と手続きの方法をお伝えいたしましょうか?」
「いや――それもいい」
 統也は頭を抱えた。
 アンドロイドの不法投棄は犯罪だ。不要になったアンドロイドは、一切のデータを消去された後、分解されリサイクルされる。
 統也はアラタを見た。
 十代後半の少年にしか見えない。ウェーブのかかった柔らかそうな髪は栗色で、前髪が少し長い。優しげに下がった眉。長い睫毛に縁取られた目は二重のラインが綺麗な平行線を描いている。少し低めに作られた鼻と、小さくてふっくらとした厚みのある唇。アンドロイドの肌はどんなに人間に似せても、どこかしら違和感のあるものだが、アラタの肌にはそれがない。
 悪趣味だな。
 アラタほど人間と見分けのつかないアンドロイドも珍しい。統也にはそれが技術の進化というよりも、薄気味の悪いものに思えて仕方がなかった。
 だいたい、こんな人間そっくりの物を捨てるなんて、なんだか自分が血も涙もない極悪非道の人間のようじゃないか。
 だからと言って、アンドロイドを店に置きたくはない。統也はレトロな物が好きだ。祖父もそうだった。この店は祖父が経営していた時のままにしておきたい。
「ああ、そうだ」
 妙案が浮かんだ。
「俺がお前を譲り受けた後に、他人に譲渡することはいいんだよな」
 アラタは瞬きをする。
「それは貴方の自由です。ですがその際にはデータのリセットをお願いします。現在、僕の中には三岩の元で過ごした間のデータが残っています。それを残したまま譲渡するというのが三岩の考えだったので」
「ああ、いいぞ」
 データを消すことには何の後ろめたさも抱かなかった。
 統也の友人にアンドロイドマニアがいる。あいつに譲ってやったら喜ぶだろう。何せ、色んなメーカーの色んなアンドロイドを集めているようなやつだ。
「アラタ、お前、どこのメーカー製だ? 型番は? 項を見せろ」
 アンドロイドは個体識別チップが項に埋め込まれ、皮膚の上に型番が刻印されている。それが国際基準だ。アラタは統也に背を向け、軽く俯く。項にかかった髪をかき上げながら、彼は言った。
「僕の識別番号はNOA―05です。一般に流通していないタイプなので項に刻印は――」
 アラタの言葉を最後まで聞くまでもなかった。アラタのつるりとして白い項には何もない。
「一般に流通していない……って、どういうことだ。研究用だろうが項の刻印はされているはずだぞ。お前……」
 これは、一体何だろう。
 気味の悪さを感じて統也は唾を飲み込んだ。
 見た目は人間の少年そのもので、アンドロイドにあるはずの刻印もない。
 人間との違いが分からない。
 アラタは背筋を正して統也に向き直る。
「僕はNOA―05、アラタです。製造主は三岩紀明。人間に最も近いアンドロイドとして作られました。三岩が作った僕の取扱説明文書は後ほどそちらの端末に移します。僕を廃棄するも譲渡するも貴方の自由ですが、まずは貴方を所有者とする為の書類にサインを。――それとも、もう一つのプランを実行なさいますか?」
「は? 何だ、そのプランって」
 統也はもう一度ため息をついて、スツールに腰を掛けた。シガレットケースから取り出したタバコに火を付ける。
「僕は認可を受けていないアンドロイドです。譲渡の契約書というのは、法的な拘束力はありません。僕のシステムの書き換えに必要なだけです。だから貴方は僕が必要でなく、そして僕の存在を疎ましく思うのなら、行政に通報すればいい。僕は速やかに廃棄されます」
 顔色一つ変えずにアラタは言う。これのどこが人間に近いアンドロイドだ。
 そう考えてから、ふと疑問が浮かぶ。
「最初に廃棄の話をした時に、何故それを言わなかった」
 アラタは手続きの方法を知りたいかと統也に尋ねてきたが、通報すれば即廃棄に繋がるとは言わなかった。
「アンドロイドは嘘をつけません」
 けれど、とアラタは続ける。
「僕は人間に一番近いアンドロイドなので、言葉を変えて意図的に誤解を招くような発言をすることが出来ます」
「つまり手続きの方法を訊けば、通報すればいいと答えた訳か?」
「その時にそれが最適であればそうします」
 統也はタバコを指に挟んだまま、ガリガリと頭を掻いた。
 面倒事は嫌いだ。アンドロイドも嫌いだ。
「参考までに、廃棄されたアンドロイドがどのような工程を経てリサイクルされるか、動画で表示しましょうか」
 統也は認識を改める。こいつは確かに人間に近いアンドロイドだ。それも性格が悪い。
「お前、俺を脅しているのか」
「アンドロイドは人間に危害を加えることは出来ません。僕は判断の参考になればと考えただけです」
 統也は両手を上げる。降参のポーズだ。
「わかったよ、もういい、うちに置いてやる」
 そう言うとアラタはほっとしたというように微笑んだ。感情なんてないくせに。
「言っておくが俺はアンドロイドが嫌いだ。だからお前を人間として扱う。お前も精々人間らしく振る舞えよ」
「お任せ下さい」
 アラタは神妙な面持ちで頷いた。
「僕は他のどのタイプのアンドロイドよりも、人間に近い存在ですから」
 アラタが少し胸をそらしたのは、自慢をしているというアピールだろうか。
「どうだかね……」
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